頑張れ!沖縄!

2019年10月31日の朝、6時のことです。

私は眠っていました。

突然、「起きろ!」「首里城が燃えている!」と、連れが叫びました。

私は「何?」って思いながらテレビのある部屋に急ぎました。

テレビは、首里城が真っ赤になって燃え上がる映像を映していました。

私は起きたばかりで、首里城が燃えているのが、「夢か、映画を見ているのか、

どっちかだ。」と思いました。

暫くテレビの映像を見続けて、私は、愕然としました。

首里城は本当に燃えていて、焼け落ちて行くようでした。

 

沖縄には、なかまクリニックがあります。

沖縄のなかまクリニックには、N先生がいます。

沖縄のなかまクリニックと、N先生には、特に、N先生には言葉にできないくらい

面倒を見てもらっています。

私は他人事とは思えず、ショックを受けました。

私がこれだけ、ショックをを受けているのだから、

沖縄県の方たちや、なかまクリニックのN先生たちのショックは

どんなに大きかったことだろう…。」と思うと、胸が苦しくなりました。

 

そうして、昨日、今日と、私は一生懸命考えたり、黙想しました。

「私はこんな時、N先生に、なんて言えばいいんだろう…。」って思って、

黙想しました。私は昨日より今日、苦しみました。

そうして、今日の夕方になって、「N先生と、とりあえず電話で何か話そう。」私はそう思い、水曜日の夕方に買って来たパンジーを、

私の部屋の電話口に置きました。

そうしたら、私は、そのパンジーを見て、導かれました。(神様、感謝します。)

そうして、なかまクリニックのN先生に電話しました。

でも、N先生は、「今日は、混んでいて、電話に出れない。」と仰っているとの

事でした。私は一度、電話を置いたのですが、もう一度、なかまクリニックに電話しました。受付の方は戸惑っておいででした。

 

私は「首里城が燃えちゃって、ショック受けている。」

「私がこれだけショックを受けているんだから、沖縄の人やN先生のショックは

どんなだろうと思う。」って言って話出しました。

なかまクリニックの受付のかたに、「今、ここに、パンジーを置いてあるんですが。」

「私が、私のお小遣いで買った、78円のビオラっていうパンジーなんですが。」

って私は言いました。屹度、受付の方は、「こんな時に、何の話?」って

思ったことでしょう。私は話続けました。

「毎年、秋口になるとパンジーを買ってくるのですが、虫がついちゃったり、霜が降りちゃったりして、中々、パンジーが冬を越せない。」

「でも、パンジーが一冬越すと、春になったら、素晴らしい花を咲かせるんです。」

「沖縄の人たちもN先生も、首里城、燃えちゃったけど、

頑張って一冬、越してください。」「沖縄の人たちもN先生も頑張って一冬、越したら

春になったら、屹度、強い心になってます。」

私は、私の精一杯を言いました。

 

最後に、「私がこうやって言っているって、N先生に伝えてください。」って

私は言いました。

受付の方は「有難うございます。」

「必ず、N先生に伝えます。」って言ってくださいました。

 

N先生、今こそ、沖縄県民の底力を見せてください。

 

これってありですか?

今日私は、松戸警察署に電話をして、電話に出てくれた刑事に助けを求めました。

私は一生懸命、話しているのに、その刑事さんはとても、ドライでした。

私は言いました。「主人が隣りの部屋に立てこもっている。」

「夜になって、私が眠ってしまったら、襲おうとしている。」

「怖い…。」

「警察官を家に向かわせてください。」って、私は言いました。

 

主人の下西ノ園三生(65歳)には吉成恵子(74歳)の愛人がいて、

下西ノ園三生と吉成恵子は、朝、昼、夕、寝る前って、毎日ラヴホに行っていて

私の周りの人たちは、「あなたのご主人と吉成恵子はこの辺のラヴホを

制覇しちゃっている。」「あなたより、あなたのご主人と吉成恵子の方が

有名人だ。」って仰っていました。

実際、三生も、「俺が恵子とラヴホに行くたんびに店の人は変な目で見る。」とか

「俺と恵子が一緒に歩いていると、変な目で見られる。」って言っています。

 

主人の下西ノ園三生と吉成恵子は、下西ノ園三生には、私と言う本妻がいるのを

承知で20年も30年も遊んでて、私が癌になっても74歳の恵子と遊んで、

家に帰ってこようとしません。携帯も電源、切っちゃって繋がりません。

南流山の吉成恵子の家で吉成恵子のつばめになっているようです。

下西ノ園三生はやることが、底意地悪くて、土、日、祝日の昼間、私が淋しがって

いることを知っていて、明るいうちに帰ってこないで夜中、帰って来て

私のことを襲います。この頃は、自分のしっちゃかめっちゃかの部屋に立てこもることを、覚えて、先週と今週の土、日、立てこもっては襲っています。

 

私はそれを、松戸警察署の刑事さんに一生懸命に話したのに、刑事さんに

ドライに構えられちゃって、そうして言うことが酷かった。

「奥さんはご主人と離婚しない限り、ご主人に何度、襲われても

ご主人は捕まらない。」

 

これってありですか?

 

主人の下西ノ園三生は20年、30年帰ってこなくて、お金も置いてゆかなくて

フーテンの寅さんみたいにしか帰ってこなくて、今、私の周りの人たちに動いて

もらっています。もう私の周りの人たちが、自治警察です。

私の管轄の松戸警察署は、やることがコ汚くて、相手にするのは

やめようかと思います。

松戸警察署が私にやっていることは、ターミネーターです。

 

松戸警察署さんよ。

私が何、悪いことしましたか。

私が何時、犯罪を犯しましたか。

私を何故、犯罪者扱いするのですか。

松戸警察署が私にやっていることは、既にもう、犯罪。

私がちょっと、精神科薬を飲んでいるだけで気ちがい扱いして

ワイドショーに出したり、松戸市全土に私の悪口を放送したりして…。

でもどうやら、松戸警察署は私のことで、日本全国から顰蹙を買っているみたいだし、

私と松戸警察署じゃどっちが悪くて、どっちがあってるのか松戸市民も

判ってくれてるみたいだし。

 

神様、感謝します。

 

ヒヤシンスよ 私をあなたと呼ぶ人よ。 

昨日につづくです。

 

そうして、Hさんはクリニックを後にしました。

その後、TさんとIさんと私でお話しをしました。って言うか、

3人で、じゃれ合いました。

水曜日、Iさんが、あんなに長かった髪をショートカットにしてしまって

私がIさんに「また、髪、切ったな。」

「髪は女の命だって、この間も言ったでしょ。」ってIさんに言うと

私の髪も短いので、Iさんは私に「じゃ、自分はどうなのよ。」って言って

私は「私はもう、おばあさんだからいいの。」

「ねー!」ってTさんに私が相槌を打つと、Tさんも、「ねー!。」って言って

私に相槌を打ってくださいました。私が嬉しかった瞬間です。

私が水曜日、青いセーターを着て行ったら

Tさんが「あなた、青いセーターを着ている。」

「あなた、細くなって…。」「僕も青いセーター着ている。」

「僕があなたに、洋服、買ってあげる。」って独り言を仰ってくださいました。

それから私が、Tさんに「Tさん、ヒヤシンス、一個は青いので、

あと、もう一個は黄色だと思うの。」

「Tさん、青いのと黄色いの、どっちがいい?」

「どっちもらってゆく?」と私が聞くと

Tさんは「僕、青いのがいい。」「僕、青いのもらってゆく。」って

言ってくださいました。。」

 

私は水曜日もお注射を打たなくてはいけなくて

Iさんは「ほら、お注射を打ちにゆくよ。」、「ほら、ゆくよ。」って言って

私をせかしました。

その、お注射の後か先に、先生の診察を受けて、

私もクリニックを後にしました。

 

ヒヤシンスよ 私をあなたと呼ぶ人よ

ヒヤシンスよ 私の気持ちを知ってるの 

もうすぐ春ですねえ うちに遊びにきませんか。

昨日のことです。

昨日は、Hさんと待ち合わせしてB先生と泌尿器科のN先生ンとこ

行って来ました。

B先生ンとこのクリニックの前に立つとドア越しに、

Tさんが、こっちを向いているのが見えました。

私がTさんに「おはようございます!」と言うと、

Tさんは私に、神妙に、「おはようございます。」って言いました。

私は「あれ?」、「どうしたのかな?」と思ったら、

私の隣に、Hさんが立っていました。

Hさんは私の相談員かつ教育係なのでTさんも私も、一瞬、ヒヤッとしました。

でも、大事なとこなので、私は、

「Tさん!はい!ヒヤシンス!」って言ってTさんに

ヒヤシンスの花を、2ポット、渡しました。

「一個はTさんに。」「もう一個はここに。」って言って渡すと、

「えっ?」「此花、あなたが買ってきてくれたの。」

「この花、僕にくれるの?」って言って

めちゃ嬉しそうな顔をしました。

私が、「私ね、Tさんのためにヒヤシンスって言う歌を作ってたんだよ。」

「作詞作曲、私だよ。」って私が言うと、

Tさんは「ホントだ、この人天才だ。」とか、なんとか、言っておいででした。

そうこう、している内に、Hさんは次の仕事が待っていて、

そしたら、看護師さんのIさんに、私じゃなくてHさんだけが呼ばれて

私はパニックです。

何故ならば、私は、このあいだ来た時に、血液検査をしているんです。

私はすっ飛んで、Tさんのとこに行きました。

「私、癌なの。」「死んじゃうの。」って言いました。

Tさんは、「別に大丈夫なんじゃなあい?」

「僕は何も聞いてないよ。」って言いました。

私はひとまず、待合室の自分の席に戻りました。

でも私は、また、Tさんんとこにすっ飛んで行き、

「Tさん、私、死なない。」

「あと、30年でも50年でも生きるの。」って言うと

Tさんが「あなた、大丈夫だよ。」

「あなたの言う通り、あと、30年でも50年でも生きられるよ。」って

言ってくださいました。

                                    つづく

ヒヤシンスよ 私の心に咲く花よ…。

ヒヤシンスの花が咲き始めました。

ヒヤシンスは寒い冬になると咲いてくれる、神様からの賜物です。

私は、寒い冬に、私の心をHotにしてくれる此花を

私は、今年も買って来てしまいました。

 

今日、Tさんと電話でお話しをしました。

Tさんは、私の話を嬉しそうに、そして、優しく聞いてくださいました。

私はTさんと話していたら、なんだか、心があったかくなりました。

私が炬燵のテーブルの上に置いたヒヤシンスの花を

Tさんは「かわいいお花を飾って…。」って言って誉めてくださいました。

今日は、Tさんとこのヒヤシンスの花がダブったHotな一日でした。

私は、癌なんかに負けないでTさんと一緒に、生きてゆきたいって心からそう、思いました。

 

ヒヤシンスよ 私の心に咲く花よ…。